遠慮と謙遜 ~ 2

今回、母が遊びに来てくれて、色々考えました

考えてみれば、10年間のアメリカ生活で色々変わったのだと思います

アメリカかぶれしたし、
私なりの生き方もここで見つけたし、
正直言って大好きな日本から疎遠になっていると言っても仕方ないです

海外暮らしをしている人にも色々スタイルがあると思う

海外に何十年住んで居ても日本の日常の習慣や食生活が変わらない方も居るし、
住んでいる土地に色々な意味でアダプトする方も居るし、
何年に一回しか帰国しない方もいたり、
毎年最低一回は必ず帰らないと!という方も居る

アメリカに来てから、というよりサンフランシスコに来てから
こうあるべきとか、そういう観念が一番無くなったかもしれません

サンフランシスコには沢山の人種が混在しているので
「こうあるべき」というマジョリティーといえる物が無いからかもしれない
ある意味サンフランシスコが好きという人は、
そのミックス感とdiversityが好きなのじゃないかと思う

それぞれの人種という特徴があり、
そしてそのそれぞれの人種の人がサンフランシスコにアダプトする為に変わり、
皆が皆とは言えないけれど、
この街に居る人は、日本人だけどサンフランシスカンみたいな感じがある
人種やお国柄からちょっとステップ・アウトしたニュートラル感という感じです

私の夫はドイツ人ですが、彼はドイツにフィットできなかったタイプだと思う
(彼自分でもそういうし、、、)
だから、将来ドイツに帰りたい?と聞いても、
ヨーロッパには戻りたいかも、とはいいますが、ドイツに戻る願望は無いとはっきり言います

このサンフランシスコは、
そういった意味で、個人、個々という物がすごく自然に確立されている街じゃないかな?
夫や私のように、ちょっと日本人であったり、ドイツ人である事よりも
「自分」という所にフォーカスしやすい事ががこの街に根付かせた理由かも

遠慮と謙遜

この感覚側が私の中で大きく変わったのは、
やっぱりアメリカ&サンフランシスコで生活が長くなった事、
夫を始めとする多くのヨーロッパ人に囲まれて、
またアメリカとはちょっと違う文化に触れたからかもしれません

そして、英語の生活になって、
、、、これは前にも書いたけど言語を学ぶという事はその文化を学ぶ事だと思うのですが、
英語の生活になって、習慣や物の考え方、物事へ対処の仕方も変わりました
だから、英語でのconversationやrelationshipのあり方の中から、
色々な事が変わったのも確かです

今でも良く覚えているのですが、
アメリカに来た初めの年、
語学学校で仲良くなった友人(彼女は今では親友)の家に遊びに行った時の事
彼女の旦那様はアメリカ人で、皆で色々会話をしているときの事

私のつたない英語で、
更に語彙もかなり限られていて、
その当時は日本語脳だったので、
何を言うのも頭の中で日本語の言い回しで考えてから一生懸命英語にしていたんです

例えば、、
まずは自分の事を謙遜しながら相手を褒める、、、みたいな感じかな、、、
そして、例えば、、
すごく遠慮しなくちゃと言う気持ちは伝えたいんだけど、
断ったら悪いな、、、
という、ちょっと混沌とした感じ、です(分かってもらえます?)

アメリカ人の旦那さんに、
いや〜君が何を言いたいのか分からないよ〜、、、と不思議そうな感じに

勿論、欧米社会の中にも遠慮とか謙遜というのは絶対存在します

でも私の感じた所だと、その表現の仕方がかなり違うかもしれません

例えば、、、
日本だと「たいした物ではありませんが、、、」とお土産とかを渡しますが、、
英語でこんな感じで言う人はいないと思う。。。

「I thought this is boring to you, but I just wanted to give you...」

粗茶ですが、、、というのと同じかな?
こうした言い回しって日本の文化の中では、
お互いがその文化、謙遜、遠慮という気持ちのあり方を知っているから成り立つけど、
英語の文化でそれをそのままやったら、やっぱりちょっとおかしくなってしまいます

英語の文化と日本語の文化のメンタリティーの違いと捉えると分かりやすいかも

だから、日本の遠慮や謙遜が悪いと言っている訳ではなくって、
他の言語の文化に入ったら、ちょっとその辺を考えてみると、
アダプトしやすくなるし、誤解等のケースも減ると思います

旅行で海外を訪れる時にはこうした所をそこまで考える必要は無いかもしれないけど、
やっぱり長期移住となったらこうした所を学ぶも必要になってくるのではないかな?

母が遊びに来た時、説明しなきゃいけなかったのはこういう所で、
それは母に変えて、って言った訳じゃなくって、
私がそういうメンタリティーに変わってしまったのを知っていたので、
その私の行動反応対して母に違和感を与えたくなかったんです

例えば、少なくとも私の周りでは、
頼み事を家族や友人にしたら、シンプルにyes/noの返事で、
駄目な時は駄目って言ってくれるから、
「相手が無理しているんじゃないか?相手に迷惑かけているんじゃないか?」
というような、ちょっと遠慮がちな考え方ができなくなっちゃって、、
そして、遠慮の気持ちを表現する事もすごく減ったと思う

だから、私がしてあげる事にも同じで、、、
母は私にすごく気を使ってくれて
「忙しいんじゃないの?無理して私に付合わないでいいのよ」と言ってくれたのですが、
でも、そうして遠慮をずっとされるとなんだか水臭いな、寂しいなと思っちゃって

これはもうアメリカのというか、
こちらの生活に慣れて、合理的な考え方に私がアダプトしてしまった為に、
私の中にそうした遠慮を「お気遣いありがとうございます」と反応できなくなってしまった
という事かもしれません、、、、(><)
(あ、、、ちょっと書いていて寂しいです)

だから、母には、そんな私の変化をちょっと説明しました
説明する必要は無かったのかもしれないけど、
私の中では大切な変化、、、知ってもらいたかった事なのかもしれない

日本に帰って色々なネットワークに参加すると、
遠慮と謙遜の受け止め方ですごく戸惑ってしまったり、
どうやって言葉を返していいのか分からなくなってしまったり、、、

せめて家族の中では、こういう所と惑わずにすんだら良いな、と思って

ちなみに色々英語の単語で、遠慮や謙遜について考えてみたけど、
特に日本の「遠慮」という感覚にピシッとハマる単語って思い当たらなかったです
(日常使う単語の中で、、、)
もしどなたか、こんな表現の仕方があるよ〜と言うのがあったら是非シェアして下さい


ちなみに、私が思う謙遜や遠慮に近い言葉だと、、、
humble
reserved
hesitate


なんだかまとまりの無い感じになってしまいました
後でちょっと書き直すかも


10


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